2024年にアニメ化され大きな話題となった「忘却バッテリー」。
今年、2026年にはWBCが行われますが、その影響で野球漫画に注目が集まっています。
特に注目さているのは、競技経験がなくても楽しめるギャグ要素の強い「忘却バッテリー」です。
ギャグ要素が強く、おもしろさが際立つ作品ですが、実際に視聴すると高校野球の描写が驚くほどリアルであることに気づきます。
本記事では、競技経験者視点を交えながら、
作品に登場する高校や野球描写がどこまで現実を反映しているのかを考察します。
・忘却バッテリーの高校モデル考察
・野球経験者から見たリアルな描写
・なぜ共感性が高いスポーツ作品なのか
・聖地巡礼は吉祥寺!ストーリーから読み取る舞台背景
筆者がこの作品を考察する理由。
一見ギャグ漫画要素の強いストーリーですが、競技経験や地方での生活を通して、私は「環境が人をどう変えるのか」という視点で作品を見ることが多くなりました。
単なるストーリーとしてではなく、キャラクターが置かれている状況に注目しています。
その視点で本作を読むと、行動や選択の背景にあるリアリティがより明確に見えてきます。
本記事では視聴者としてだけでなく、競技経験者として感じた部分も含めて考察しています。
忘却バッテリーの高校は実在モデルがある?
作中に登場する都立小手指高校は架空の学校ですが、校舎構造やグラウンド配置を見る限り、
実在する東京都内の公立高校を参考にしている可能性が高いと考えられます。
- 実在するかどうか調べた結果、モデルになった都立の高校はたくさんあり、特定までとはいきませんでした。
その中で、都内の都立の中でも特に気になったのが西武線沿線エリアの学校群です。
住宅街に囲まれた立地や、限られたグラウンド環境などは、強豪私立とは異なる「現実の公立野球部」の特徴と一致します。
西東京エリアの都立
アニメの中でも東堂葵が、お世話になった先輩と再会した時に「西のちょっと進んだ方」と伝えている描写があります。派手な専用施設ではなく、日常の延長線にあるグラウンドだからこそ、選手たちの努力がより現実的に映ります。画像4が一番忘却バッテリーの学校の見た目に近いかもしれません。
私は実業団までソフトボールをしていた経験があり、私立のまさに帝徳のような高校出身で、いろいろな学校と練習試合をしたり遠征に行ったりを繰り返してきましたが、確かに都立高校でのグランドは設備が整っているとは言い難いところがありました。
これは筆者の勝手なイメージですが、都立では「プロを目指すために練習する」選手は少なく、競技より社会人としての基盤を作るための勉強に力を入れているイメージがあるので設備以前に「勝つための選手として力をつける」ということが稀なのではないかと感じます。
しかし、そこがこのストーリーの面白さを際立たせているのではないかと思います。挫折を機に名門からのスカウトを蹴った実力ある有名選手達が無名の都立から這い上がり下剋上するようなストーリーはまさに見る人を惹きつけます。
競技スポーツ経験者が感じたリアルなポイント
スポーツ作品では試合描写が誇張されることも多いですが、忘却バッテリーは心理面の描写が非常に現実的です。私は競技スポーツに取り組んできた経験がありますが、試合では技術よりもメンタルが結果を左右します。
練習ではできていたプレーが、本番になると突然崩れることは珍しくありません。特にイップスや自分にとって嫌な記憶のフラッシュバックが原因で思うように体が動かないなどは、よくあることであす。ある意味、一瞬で勝負が決まってしまうというのは残酷で極限の世界です。
作中で描かれる「期待」「過去の実績」「周囲の視線」は、実際の選手が感じるプレッシャーそのものです。このリアリティが、競技に関わらず多くの視聴者の共感につながっています。
特に作品内で描かれている要圭と東堂葵のイップスなどの描写は、実際に競技を経験していた立場から見ても非常に現実的だと感じました。
私は実業団でソフトボール競技に取り組み、日本代表を目指していた経験がありますが、試合中の心理状態は技術以上に結果へ影響します。そのため、近年ではメンタル強化やメンタルトレーニングを率先して取り入れるチームが多くなりました。
特にプレッシャーがかかる場面では、本来できていた動作が突然できなくなることがあります。
これはアニメ的演出ではなく、実際の競技現場では頻繁に起こる現象です。
だからこそ本作の描写は「理想のスポーツ」ではなく、競技者が本当に経験する成長過程を描いていると感じました。
なぜ忘却という設定がスポーツと相性が良いのか
主人公・要圭の記憶喪失設定は、単なるギャグ要素ではなくスポーツの本質を描く装置として機能しています。本気で上を目指す選手ほど、勝つための戦略や技術向上の為のきつい練習と努力をしています。そんなに頑張ったのに負けてしまった、挫折してしまった、きつい経験をした、でも再起したい、ということが、このストーリーにとっての本質ではないかと考察できます。
競技者は過去の成功体験や失敗に縛られることがあります。
しかし記憶を失うことで、逆に言えばこれまでのしんどい経験を忘れてるからこそ純粋に「今のプレー」に向き合い楽しいと思える状態が生まれます。
これは実際の競技現場でも理想とされる“雑念のない集中状態”に近いと言えるでしょう。
聖地巡礼するなら吉祥寺から!ストーリーから読み取る舞台背景
忘却バッテリーの舞台は明確に公表されていませんが、作中で要圭が行きたがる吉祥寺は外せないでしょう。また小手指は都立が舞台なので西東京エリアの街並みが近い景観になります。スポーツ強豪校にあるような特別施設などは無く、都立ならではの駅から住宅街を抜けて学校へ向かう動線や、夕方の帰宅風景は実在の通学環境を強く連想させます。
作中では吉祥寺だけがよく挙げられていますが、他には派手な観光地を発言する事はないので、もし他の聖地巡礼をするなら「どこにでもある街」を歩くこと自体が聖地巡礼になる点も本作の特徴です。
作中背景を確認するため、建物配置や道路構造を航空写真レベルで比較してみました。
完全一致する場所は公表されていませんが、西東京エリアの景観と非常に近い特徴が見られます。特に坂道の角度や住宅密集度は創作だけでは再現しにくく、実在ロケーションを参考にしている可能性が高いと考えられます。
聖地巡礼視点で見ることで、作品のリアリティがより深く理解できる点も魅力の一つです。
忘却バッテリーが支持される本当の理由
本作が評価されている理由は、才能ではなく環境や心理に焦点を当てている点にあります。
強豪校だけが主役ではなく、挫折した選手たちが再び競技と向き合う姿は、実際にスポーツを経験した人ほど深く刺さります。そしてギャグ要素も強いのが面白い。見てると何度も見返したくなります。笑いの中にリアルな苦悩を描くことで、スポーツ作品として独自の立ち位置を確立していると言えるでしょう。
実際の競技経験から見えたリアルな描写
作品内で描かれている努力や成長の過程は、実際に競技を経験していた立場から見ても非常に現実的だと感じました。
私も人生をかけてソフトボール競技に取り組み、日本代表を目指していた経験がありますが、試合中は技術以上に精神状態が結果へ大きく影響します。
プレッシャーがかかる場面で、本来できていた動作が突然できなくなること、強い緊張を落ち着かせるためのメンタル安定させる行動などは、本当にリアルな描写です。
これはアニメ的な誇張ではなく、実際の競技現場では日常的に起きている行動と現象です。
そのため本作で描かれる挫折や迷いはフィクションではなく、競技者が必ず通る過程として非常にリアルに表現されていると感じました。経験者視点で見ることで、作品の説得力はさらに深く理解できます。










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