『僕のヒーローアカデミア』を観ていると、「どこの街がモデルなんだろう」と気になったことはありませんか。
しかし気になって調べてみると、はっきりと断定された聖地は存在しませんでした。
それでも、物語の世界はどこか現実に根ざしているように感じられます。
この記事では、ヒロアカの舞台を“場所”としてではなく、“街の構造”として読み解いていきます。
ヒロアカに明確な聖地がない理由
ヒロアカの世界は、日本の都市をベースにしているようでありながら、特定の駅や建物が強調されることはほとんどありません。
それは、この作品が「実在の街」を描きたいのではなく、「ヒーロー社会」という構造そのものを描こうとしているからだと感じます。
雄英高校も、どこかの学校をそのまま再現しているわけではなく、郊外型の広い敷地・隔離された環境という特徴を持っています。
これは、ヒーローを育成するための“社会から少し離れた空間”を象徴しているようにも見えます。
つまりヒロアカの聖地巡礼は、「ここに行けば再現できる」というタイプではなく、“社会と学校の距離感”を体感する視点が重要なのです。
雄英高校の立地から見えるもの
雄英高校は都市の中心ではなく、ある程度広い土地を確保できる場所に存在しているように描かれています。
高層ビル群のど真ん中ではなく、どこか開けた場所。
それは偶然ではないはずです。
ヒーローという存在は、市民を守る象徴である一方で、強大な力を持つ存在でもあります。
その力を管理・育成するには、都市から少し距離を置く必要がある。
雄英の立地は、ヒーロー社会の“慎重さ”を表しているのではないでしょうか。
もし聖地巡礼をするなら、再開発された学園都市や、郊外型キャンパスを歩いてみると、作品の空気が少しだけ理解できるかもしれません。
なぜヒロアカは感動を呼ぶのか
ヒロアカが多くの読者に感動を与える理由は、単にバトルが熱いからではありません。
むしろ、街と社会の構造の中で「個人」がどう立ち上がるかを描いているからだと思います。
特に主人公の緑谷出久自身がヒーロという立場でありながらヒーローらしからぬ人間性を見せていたから、私たち“ヒーローじゃない方”でも守る勇気・立ち向かう勇気に共感できてしまう。それが感動を呼ぶ理由なのではないかと感じました。
もちろん、感動できる理由は緑谷出久1人だけではなくA組のみんなも含まれています。
ヒーローは特別な存在でありながら、同時に“社会に必要とされる職業”でもあります。
つまり、夢と現実の両方を背負っている。
その葛藤が、読者自身の進路や将来への不安と重なるのです。
ヒロアカの感動は、派手なシーンよりも、「自分にも何かできるかもしれない」と思わせてくれる瞬間に宿っています。それは、どこの街に住んでいても共通する感情です。

私は初めてデクを見たとき「強いから感動する」のではなく「弱いまま立ち上がるから感動する」のではないか、、と気づきました。弱いままなのに立ち上がる。人を助ける姿にみんな心打たれる。そこが感動を呼ぶ理由であっても間違いないはないのかな、と感じました。
正直、初めてヒーローアカデミアを見たとき、よくあるありきたりなアニメなのだろうと思っていました。しかし読み進めるうちに普通のヒーローではない、ちょっと弱気で泣き虫なデクの人を救いたいからこその行動に何度も胸が詰まりました。
派手なバトルよりも、「報われないかもしれない努力」に向き合う姿のほうが強く心に残りました。それはヒーローの物語というより、現実の私たち自身の物語にも近いからかもしれません。
ヒーロー社会と現実の都市構造
ヒロアカの街並みは整備されていて、災害対策や避難システムも発達しています。
これは、ヒーローという存在を前提とした都市設計とも言えます。
現実の都市もまた、地震や事故などを想定して設計されています。
ヒロアカの世界は、現実社会を一歩だけ拡張した構造なのです。
だからこそ、私たちはその街に違和感を覚えない。
ヒーローがいないだけで、構造そのものは決して遠い世界ではないのです。
ヒロアカ的・聖地巡礼の楽しみ方
ヒロアカの巡礼は、「ここが舞台」と断定する旅ではありません。
むしろ、整備された街並みや、広い校舎、再開発エリアを歩きながら、
“ヒーローがいたらどう使われるか”を想像する時間が近いでしょう。
学園都市、広い公園、防災拠点。そうした場所に立つと、ヒーロー社会のリアリティが少しだけ立ち上がってきます。
写真を撮ることよりも、街を眺めながら「この場所なら誰が戦うだろう」と想像する。
それがヒロアカらしい巡礼の形です。
実際に街を歩いてみると、「ここなら爆豪が走りそうだな」とか、「この広場は救助現場に似ている」と、つい想像してしまいます。
そうやって自分の街を重ねられるのが、ヒロアカの面白さだと私は思っています。
まとめ|ヒロアカの舞台は“どこにでもある”
ヒロアカに明確な聖地がないのは、弱点ではありません。
むしろ、どの街にも当てはまる構造で描かれているからこそ、読者一人ひとりが自分の街を重ねることができます。
感動の理由も同じです。
特別な誰かの物語ではなく、“社会の中で頑張る人の物語”だからこそ、
私たちは心を動かされるのです。

もし、自分の街にヒーローがいたら、、
そんなことを考えながら帰り道を歩いてみると、また違った景色でいつもの景色が見えるかもしれません。

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