「推しの子」はアイドルや芸能界を舞台にした作品です。
しかし物語の中心にあるのは、芸能界という華やかな世界そのもではありません。
人の感情が、いつの間にか「価値」や「数字」に置き換えられていく構造が描かれています。
この記事で分かること
- 『推しの子』が「怖い」と言われる本当の理由
- この作品に登場する人物たちが置かれている立場
- 芸能界の話が、なぜ私たちの日常と重なるのか

アイドルなのにどうして不安になるの?
この作品が不安を呼ぶ理由は、残酷な事件や衝撃的な展開だけではありません。
読者自身がすでに視聴者『数字を明確にする者たち』という、その仕組みの一部であることに気づいてしまうからです。
「かわいそう」と思った瞬間に起きていること
登場人物を見て「かわいそう」「応援したい」と感じる気持ちは、ごく自然なものです。
ところが『推しの子』では、その感情が注目・再生数・評価といった形で数値化されていきます。

優しい気持ちが、そのまま消費のエネルギーになる点が重要です。
誰かの不幸や努力が話題になり、多くの人に共有される。
それ自体は悪意ではありません。
しかし結果として、その人の人生が「見られるための物語」へと変わっていきます。
なぜ悪い人がいないのに苦しくなるのか
『推しの子』には、分かりやすい悪役がほとんど登場しません。
多くの登場人物は、それぞれの立場で「正しいと思う選択」をしています。
それでも、誰かが傷つき、取り返しのつかない結果が生まれます。
これは構造そのものが人を追い込む仕組みになっているからです。

じゃあ、誰が悪いの?
この問いに明確な答えが出ないこと自体が、この作品の怖さです。
個人ではなく、環境や期待、視線の集まり方が問題になっています。
感情が「商品」になる社会との共通点
現実の世界でも、悲しい出来事や努力の物語は注目されやすくなっています。
なぜなら「感動という感情がそこには生まれるから」です。
SNSや動画配信の普及により、感情は即座に共有され、評価されるようになりました。
『推しの子』は、芸能界という分かりやすい舞台を使って、
私たちが生きている社会の縮図を描いています。

見ているだけ、応援しているだけでも、この構造は成立してしまいます。
まとめ
『推しの子』が不安を感じさせるのは、人の感情が価値として扱われる世界を、
とても現実的な形で描いているからです。
この作品は、芸能界の裏側を暴く物語ではありません。
「見る側である私たちは、どこに立っているのか」を問いかける作品です。


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